九州最古の水泳スクールに幕 福岡スイミングとの関係
4日の西日本新聞にて下記の記事が社会面に掲載されていました。
九州最古の水泳スクールに幕 東京五輪元代表が指導 北九州「黒佐学校」|【西日本新聞ニュース】
九州最古の北九州市の黒佐水泳学校(1965年に開校)が今年11月限りで閉校。
オリンピック元代表の指導者が指導するなどの素晴らしい経歴があったが、指導者の高齢化のため54年の歴史に幕を下ろすとのこと。
黒佐水泳学校同様に当クラブも歴史が長いことはこのブログでもご紹介済みで、ご存知の方も多いと思います。
黒佐水泳学校の開校は1965年6月
福岡スイミングの開校は1966年2月
その差はわずか半年です。
実は・・・
黒佐水泳学校と福岡スイミングクラブは同時に旗揚げする計画だったのです。
(もしかしたら、福岡スイミングも最古になっていたのかもしれませんね。)
では、どうして一緒に旗揚げしなかったのか
『福岡県水泳連盟創立80周年記念誌 飛沫をあげろ、夢をもて』P118~P119
にその理由が記載されています。
福岡市では、昭和41(1966)年2月に、小松兼光、波多江逸郎、蓑原友義の各氏らがエージグループの育成に乗り出し、前年に完成した福岡県営総合プールに「福岡スイミングクラブ」を開設した。小松兼光氏は『福岡県水泳連盟創立55周年記念誌』で、その時の事情を次のように記している。
<福岡市にもSCを作り黒佐氏と同時に旗揚げしようと事前の話までしていた。クラブ名は水連のバックアップで設立されるのだから福岡スイミングに決定。(中略)県営プールの室内プールを根拠地にする予定で交渉するが、「プールは県民のものであり特定の団体にかすわけにはいかない」と、にべもなく断られた。これで黒佐氏との同時旗揚げはオジャン。
その後、当時の県立プールは冬に向けて暖房設備が整っていなかったために利用者が激減し、室温引き上げと温水シャワーを設置したものの、利用者数が伸びなかったそうです。
そこで、再びスイミングクラブ設立を県に打診し、県の体育課の指導の下で準備を進め、運営は父兄からも役員を出して発足にこぎつけたとのこと。
この創成期の会員に、当クラブの現代表=髙橋がいたのです。
くやしさをバネに日本水泳界の成長
2020年東京オリンピックが開催されますが、前回の東京オリンピックでの日本水泳は惨敗であり、日本は大きなショックを受けます。
それを機に練習内容や強化の方法を洗い出し、その当時圧倒されたアメリカチームの方法を研究し、エージグループ育成に取り組み始めました。
当時東京オリンピックのコーチであったのが村上勝芳氏と黒佐年明氏。
村上氏は日本で最初のエージグループ育成の取り組みを始めたクラブである「代々木スイミングクラブ」を立ち上げ
黒佐氏は北九州・桃園室内プールに前述の「黒佐水泳学校」を設立する運びになったのです。
両氏の水泳の発展にかける情熱と行動力が現在の水泳界の発展の礎となっていることは言うまでもありません。
新聞記事では「2度目の東京五輪を前に閉校を決めた」と黒佐水泳学校・現吉無田春男代表の言葉が掲載されていました。
このお言葉からも黒佐氏の東京オリンピックとの強い結び付きと愛を感じらます。
日本と福岡県の水泳発展のために尽力され、我が福岡スイミングの立ち上げとも関わりがあった場所が幕が下りるとは、そのお力に思いを馳せると寂しさが沸き上がり、
ご関係者の方々のご尽力には敬意を表す他なく、私たちもその情熱を忘れることができないでしょう。